中判の意義

 

 

キムです。
先日、とある人に聞かれました。
「なんで、中判なの?35mmじゃだめなの?」と。
僕は「うーん」と唸ってしまって。それからちょっと考えて、今回少しですがまとめてみようと思います。

 

目次

 

キム


中判を使い始めたのは、2017年の4月からで、ここ2年といったところです。使い始めたカメラはZenza Bronica のGS-1という機種です。Zenza Bronica は66や645が有名ですが、実は67もつくっていまして。当時は「これから67つくっていくぞ!」っていう意気込みで名前をGS-1と付けて「初号機だよ。これから楽しみにしててね」ってしたみたいです。でも残念ながら後続機がつくられることはありませんでした。不遇な人生を負った子なんです。これだけで話が長く脱線するので置いといて。「やっぱりいずれ中判を使ってみたい」という漠然とした想いから使い始めました。

 

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僕は最近もっぱらブローニーばかりです。というかブローニーしか使っていない。好きな理由の一番は、「その場の空気感を全て包み込んでくれる感じがするから」です。まああくまで「感じがする」です。35mmでもその場の空気感をいっぱい含んだ写真はありますし、「そんなこと言ったら大判だろ!」って言われたら、ぐうの音も出ないですし。

 

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あとはもうロマンです。中判なんて645を抜いて、大きいし重いし硬いし。正直そういった面では35mmの方がはるかに良いですよ。でも少年の僕はそういうメカメカしいものを持っているだけで興奮しちゃうし、ロマンがあります。あの大っきなレンズとボディ、そしてフィルムいっぱいに光が飛び込んでくる感じが堪らないんですよ。

 

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そうなってくると当然、次は大判です。実は今にでも大判やりたいです。でも、今の経済力と機動力を考えるに、イマイチ活かしきれないことはもう分かりきっているんですよ。それなら今は中判で、しっかり勉強して、楽しんで、社会人になったら大判かな、と。初任給でディアドルフ買ってやろうと思います(安月給で買えるわけがない)

 

今回の写真
Zenza Bronica GS-1 / Zenzanon PG 100mm f3.5
3, 4枚目 : Portra160
1, 2, 5枚目 : Pro400H

 

いっぽ

これまでホルガを始めとして多くの中判に手を出してきたけど、今使っているのはマミヤのRB67になる。よく言われるような重い、デカイという印象とは裏腹に、持った時のバランス感によるものなのか、そこまで重たい印象を受けなかった。それよりも質実剛健な作りで、安心して気軽に使える。

以前キエフ60の修正版であるARAX60という中判6×6カメラを使っていた時期があったが、コマ間は乱れるし、謎のシャッター幕が破断するという事態に見舞われて、ウクライナに修理に出したこともあったので、それに比べたらRB67は感動するぐらい壊れない。あの時EMSでウクライナに送った時は、当時ウクライナ情勢が一番怪しい時期だったから、相当な覚悟で郵便のおばちゃんにARAX60の入った荷物を差し出したな笑 

それ以外にもハッセルとかマキナ67にも手を出した。

正直なところ中判も35mmも両方使うから、特に中判に対してこだわりがあるわけじゃない。ただ、中判は機動力がないからこそ(特にRB67は)自分が腰を据えて撮りたい時とか、撮る対象にじっくり向き合いたい時とかには、僕にペースを合わせてくれるようにゆったりと付き合ってくれる、ように感じる。感じるだけ。

デジタルでもできるよ、そういう撮り方。っていうツッコミは今回もナシよ

 

 

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今回のフィルム

 

 

 

 

 

 

 

Kodak カラーネガティブフィルム プロフェッショナル用 35mm  ポートラ400 36枚 5本パック 6031678