はじめまして、佳那です。
こんにちは、はじめまして。佳那です。
このブログの管理人キムくんの友人です。
私も少しフィルム写真を撮ります。
先日のエントリーでいっぽくんが「僕もほんの少しフィルム写真を嗜んでいます」とか言うものだから、私は話しにくくてたまりません。笑 というのも、私からしてみればいっぽくんもキムくんも雲の上の人のような存在です。私は中判はやるやるって言いながらやっていないし、(やりたいなーとは時々思うのだけどキムくんのカメラを少し持つだけでも重くて悩んじゃう。)カラーばかりだし。何よりキムくんといっぽくんは二人がフィルム写真を語る上ではパートナーのような立ち位置に見えます。私はそんな二人を後ろから見ながら、そしてキムくんに教えてもらいながらフィルム写真を撮ってきました。
今日はそんなフィルム写真2年生の私が何故フィルム写真を撮っているかの話をします。
いきなりわかりにくい話になってしまって一人で恐縮してしまうのだけど、私は自分が撮った写真に時間がちゃんと写っていないと嫌になっちゃいます。「何やってんのー」って。その「時間がちゃんと写る」というのはもちろん2019年4月24日と刻印されるかどうかの問題ではなくて、私が感じたはずの時間の話です。例えば、風に揺れる木の葉が強い陽の光を反射した瞬間とか、いつも傍にいる人の安心できる笑顔が最も効果を発揮してる時とか、すっごい大きい木の幹の太さに何か考えちゃうような時とか。それが些細だけど二度とない瞬間でも、繰り返すように感じられる日常でも、私の手には届かないように感じられる悠久の時でも、生きている中で私という存在の外で流れる時間を好意的に感じとってしまったとき、私はそれを記録するように写真を撮っています。「生きててよかったな」と思いながら、写真を撮っています。だから私は、私が生きるに値したはずのその時間がちゃんと写っていないと「何やってんのー」と少し残念に思います。
私はそのように大袈裟に、生きた時間を切り取るつもりで写真を撮っています。これはきっと3年前の私にたまたま生とか死とかについて深く考える経験があったためだと思います。私以外の人にはものすごく抽象的で大袈裟に聞こえるかもしれないことも想像はつくけれど、恥ずかしいとは思わないようにしています。
私が生きた時間を切り取る。だから私がしようとしてる行為は不可逆です。シャッターを降ろしてしまえばそれはもう形となり消せない、コマの前後は入れ替えられない。学生のお財布の限りある枚数で撮り返しはきかないというフィルムの制約が、私により強くかつ繊細に不可逆な時間を意識させます。フィルムカメラは私にそういう前しか向けない姿勢を持たせる装置としても働いているかもしれません。
2年前、私がぼんやりと写真を撮りたいな、でも私のこの写真を撮りたい気持ちってめちゃくちゃ重いらしいな(笑)って気付き始めていたとき、たまたまキムくんとキムくんのバカでかい10枚しか撮れないフィルムカメラに出会いました。大袈裟なシャッター音と、1枚撮ってはフィルムを送って、それから紙とペンでメモをとる。キムくんがフィルムカメラを扱うその姿に「これなのかも。」と思いました。出来上がった写真を見ると、光がとても柔らかくてなんとも好きな仕上がりでした。それがダメ押しでした。私は2年前、キムくんと出会ってからフィルム写真を始め、それから今もフィルム写真の知識しかありません。ですがこれはやっぱりデジタル写真批判というような話ではまったくなくて、私のこのような身体感覚をフィルム写真というスタイルが掬いとってくれている感じがするという話です。
写真で自己表現なんてあんまり考えたことはないし、伝えたいことには言葉が先行してしまうし、それでも上手く撮れるようにはなりたいけど、それは見たものを写す精度を上げたいということで、きっと自分の想像を超える写真は撮れない。(思ってたより綺麗に撮れていることはあっても。)
のかもしれない。だって要するに私が心血を注いでいるのはきっとフィルム写真自体ではなくて生きることそのものです。だから私の写真は芸術としてつまらないものなのかもしれない。
それでも私は、「うわ!」と来る度に少し慌ててシャッターを切ります。
私は私が生きるに値する世界を、そしてその世界を好意的に生きた私を、ギュッとネガに詰めたくてシャッターを切ります。そして私はこれからもそうして生きていきたいなと願っています。
今日は私とフィルム写真の原点に立ち返るとこんなところという話でした。
だけどこの少し大袈裟に感傷的で変わり者の私も、やっぱり本当にフィルム写真が好きで他の酔狂な大学生と同じように普通に撮れた写真を見てニヤニヤしたり、次は何を入れようとワクワクしたりしています。これからは、私が撮って誰かに見て欲しくなっちゃった写真などを静かに上げていけたらいいなと思います。
使っているのはNikonFMとOlympus trip35です。どちらもとてもいいカメラだなあと思います。FMに付けているのはAi Micro Nikkor 55mm f/2.8sで、最近GN Auto Nikkor 45mm f/2.8も買いました。
それでは、また。
佳那
ポラで撮る
ものすごく久しぶりになってしまった。
いっぽです。
日記はおろか、ブログで自分の事を発信する事自体が初めてで戸惑いながらも、少しずつコンテンツを増やしていけたら。
最近自分の中でポラロイドブームが到来している。
というのもタルコフスキーのポラロイド写真集を古書店で発見してしまって、そのあまりの値段の高さに逡巡しながら、映画の世界から抜け出したようなポラの描写に魅了されていた。結局その場では買えず、今ものすごく後悔している(後で調べたらアマゾンの方がよっぽど高かったわよ!)
Instant Light: Tarkovsky Polaroids
- 作者: Giovanni Chiaramonte,Andrey A. Tarkovsky,Tonino Guerra
- 出版社/メーカー: Thames & Hudson
- 発売日: 2006/06/01
- メディア: ペーパーバック
- 購入: 6人 クリック: 57回
- この商品を含むブログ (15件) を見る
そんなこんなで、(僕は形から入るタイプだから)ポラロイドカメラをネットでもお店でも物色していた。
ある時某フリマを徘徊していたら、とても興味をそそるものを見つけてしまい、購入してしまったのがこれ。
てっきり初めてのポラロイドはSX−70を購入する気でいたから、この展開は意外、急転直下、嬉しいポラ地獄の始まり
手持ちのマミヤRB67のフィルムバックに取り付け、ポラロイドが撮れるというもの。ちなみにマミヤプレスでも使えるみたい。これは買い足しのフラグが立ってしまったよ。
台湾?のメーカーが出していて、どうやらインスタントラボを改造して作られたよう。
これならマミヤのレンズ資産も生かせるし、何より望遠レンズを使えば深度を生かしたポラ写真が撮れる。
なかなか意欲的な製品だと思う。
昔のポラ切りの現代版?
という事でちょこちょこ撮りました。
初めてのポラロイドフィルムははポラロイドオリジナル社のカラーフィルム。
操作方法はいたって簡単。
シャッターを切ってポラパックのボタンを押せばウィィィィンとか唸りながら吐き出されて、後は暗箱に入れて待つだけ。
最初海岸線で撮っていたのだけど、ポラの作法を知らずに、出てきた直後のポラをガン見していたから、若干色味が変な気がする。
ポラ上級者には失敗だろうけど、こういう特徴的な色味も愛おしく思える。
ますますハマりそうな予感。
そして心なしか中判レンズの恩恵でくっきり写っている気がするぞ。。。
ちなみに最後の写真だけ屋内で撮ったもので、後処理をきちんとしたらコントラストが高くなった。意外とくっきり写る。
次はモノクロポラに挑戦してみたい。
中判の意義
キムです。
先日、とある人に聞かれました。
「なんで、中判なの?35mmじゃだめなの?」と。
僕は「うーん」と唸ってしまって。それからちょっと考えて、今回少しですがまとめてみようと思います。
目次
キム
中判を使い始めたのは、2017年の4月からで、ここ2年といったところです。使い始めたカメラはZenza Bronica のGS-1という機種です。Zenza Bronica は66や645が有名ですが、実は67もつくっていまして。当時は「これから67つくっていくぞ!」っていう意気込みで名前をGS-1と付けて「初号機だよ。これから楽しみにしててね」ってしたみたいです。でも残念ながら後続機がつくられることはありませんでした。不遇な人生を負った子なんです。これだけで話が長く脱線するので置いといて。「やっぱりいずれ中判を使ってみたい」という漠然とした想いから使い始めました。
僕は最近もっぱらブローニーばかりです。というかブローニーしか使っていない。好きな理由の一番は、「その場の空気感を全て包み込んでくれる感じがするから」です。まああくまで「感じがする」です。35mmでもその場の空気感をいっぱい含んだ写真はありますし、「そんなこと言ったら大判だろ!」って言われたら、ぐうの音も出ないですし。
あとはもうロマンです。中判なんて645を抜いて、大きいし重いし硬いし。正直そういった面では35mmの方がはるかに良いですよ。でも少年の僕はそういうメカメカしいものを持っているだけで興奮しちゃうし、ロマンがあります。あの大っきなレンズとボディ、そしてフィルムいっぱいに光が飛び込んでくる感じが堪らないんですよ。
そうなってくると当然、次は大判です。実は今にでも大判やりたいです。でも、今の経済力と機動力を考えるに、イマイチ活かしきれないことはもう分かりきっているんですよ。それなら今は中判で、しっかり勉強して、楽しんで、社会人になったら大判かな、と。初任給でディアドルフ買ってやろうと思います(安月給で買えるわけがない)
今回の写真
Zenza Bronica GS-1 / Zenzanon PG 100mm f3.5
3, 4枚目 : Portra160
1, 2, 5枚目 : Pro400H
いっぽ
これまでホルガを始めとして多くの中判に手を出してきたけど、今使っているのはマミヤのRB67になる。よく言われるような重い、デカイという印象とは裏腹に、持った時のバランス感によるものなのか、そこまで重たい印象を受けなかった。それよりも質実剛健な作りで、安心して気軽に使える。
以前キエフ60の修正版であるARAX60という中判6×6カメラを使っていた時期があったが、コマ間は乱れるし、謎のシャッター幕が破断するという事態に見舞われて、ウクライナに修理に出したこともあったので、それに比べたらRB67は感動するぐらい壊れない。あの時EMSでウクライナに送った時は、当時ウクライナ情勢が一番怪しい時期だったから、相当な覚悟で郵便のおばちゃんにARAX60の入った荷物を差し出したな笑
それ以外にもハッセルとかマキナ67にも手を出した。
正直なところ中判も35mmも両方使うから、特に中判に対してこだわりがあるわけじゃない。ただ、中判は機動力がないからこそ(特にRB67は)自分が腰を据えて撮りたい時とか、撮る対象にじっくり向き合いたい時とかには、僕にペースを合わせてくれるようにゆったりと付き合ってくれる、ように感じる。感じるだけ。
デジタルでもできるよ、そういう撮り方。っていうツッコミは今回もナシよ
今回のフィルム
FUJIFILM カラーネガフイルム(プロフェッショナル用) フジカラー PRO400H 35mm 36枚 1本 135 PRO 400 H NP 36EX 1
- 出版社/メーカー: 富士フイルム
- 発売日: 2013/04/01
- メディア: Camera
- この商品を含むブログを見る
FUJIFILM カラーネガフイルム(プロフェッショナル用) フジカラー PRO400H ブローニー 12枚 5本 120 PRO400H EP NP 12EX 5
- 出版社/メーカー: 富士フイルム
- 発売日: 2013/04/01
- メディア: Camera
- この商品を含むブログを見る
Kodak カラーネガティブフィルム プロフェッショナル用 35mm ポートラ160 36枚 5本パック 6031959
- 出版社/メーカー: コダック
- メディア: エレクトロニクス
- クリック: 4回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
Kodak カラーネガティブフィルム プロフェッショナル用 35mm ポートラ400 36枚 5本パック 6031678
- 出版社/メーカー: コダック
- メディア: エレクトロニクス
- 購入: 1人 クリック: 26回
- この商品を含むブログ (1件) を見る
はじめのいっぽ
このブログの管理人であるキム君の友人のいっぽです。実はいっぽっていうのは本名で、最近になってようやく自分の名前の独特なネームセンスにかっこよさを感じられるようになりました笑
僕もほんの少し写真を嗜んでいて、写真を始めてからずっとフィルムの知識しかないし、フィルムでしか撮っていない。別にデジタルが嫌いというわけではなくて、たまたま実家にあったカメラがフォトラマ90aceっていうインスタントカメラと祖父の富士フィルムtiara、それにミノルタハイマチック7っていう宇宙にも行った名誉あるカメラだっただけのことだった。それに97年生まれの僕を両親が幼少期に写してくれた写真の殆どはまだギリギリポラだったり、フィルム写真だったりしたことで、フィルムの風合いに慣れているのかもしれない。
それまで写真を撮るという行為については全然興味がなかったんだけど、なぜか小学生の時のクリスマスの日に”サンタさん”からホルガ120をプレゼントされていた。それがまた黄色いボディでもの凄く目立つの笑 それを小柄な小学生が肩からぶら下げて、はしゃいで東京タワーに行って安っぽいホルガのボディの裏蓋をペコペコいわせながら撮ってたりと、どこに行くにも連れて行ってたのを今考えると、可愛すぎるぜ、当時の俺!ってなる。ただ親に買ってもらったブローニーのフィルムを装填して撮っていたのはいいんだけど、当時の僕には撮影後の処理が分からず、行方知らずのまま何年も経ってしまった。増上寺で撮った母と祖母のツーショットを納めたネガはどこにいってしまったのだろう。。。
そんなこんなで、机の引き出しの奥底に眠っていた小学生時代のホルガのネガを発掘したのは当時大学受験が終わって、一段落していた春休みの時期だった。この頃から日常的に何かしら写真を撮っていたかもしれない。動機は曖昧なんだけど、自分の周りから無くなっていってしまうものへの焦りから写真の記録性に依存していたのだと思う。それはもちろん当時家族のことでもあったし、何より中高時代お世話になった東横線の地上の渋谷駅が無くなって、自分の原体験が失われることへの焦りも影響していた。無くなってしまうものたちの記録をしなければと何度も何度も渋谷駅に通っていたな、あの頃は。当時オリンパスXAでも撮っていたりしていたから、その現像のついでに発掘されたホルガのモノクロネガも現像することにした。現像から上がってきたホルガのネガは殆ど写っていなかった。時間が経ち過ぎているからなのか、そもそもホルガ自体がダメだった(笑)のかは今でも分からない。でもその中で二枚写っていた写真があって、僕の部屋の窓から見た景色だった。その何の変哲も無い写真は、多分当時の僕が美しいと感じて思わずシャッターを切った一枚であったはず。
そういえば記録に囚われて写真を撮っていた時期は、楽しいというよりもむしろ焦燥に駆られていたようにも思える。ホルガで撮った写真を眺めながら、あの頃の自分がもっと純粋な気持ちで写真を撮っていたことを思うと、少し泣けてきた。いつか見た映画「パターソン」の主人公もささやかな日常の中で詩を紡ぐために、あふれる美を見つけていた。きっと僕の日常にもまだまだ見つけきれていない美しさとか心に響くものがあるはずだ。
何の写真を撮っていいのか分からなくなったり、記録という要らぬ責任感で撮ってきた今までの自分に少し喝を入れてくれたホルガは、もうどこかにいってしまった。僕にとって、写真を撮る行為のはじめのいっぽのきっかけはホルガだったのかもしれない。
Kowa Six MMが仲間に加わった!